Introduction


スピントロニクス

 現在のエレクトロニクスを支えてきた大きな2つの柱として、半導体デバイスと磁性材料が挙げられます。半導体は、トランジスタ、LSI、メモリ、発光デバイスなどにおいて、また、磁性体は、HDDの磁気記録媒体や磁気ヘッドなどの大容量記憶デバイスとして発展していきました。電子は「電荷」と「スピン」という2つの特性を持っていますが、半導体は「電荷」、磁性体は「スピン」の性質を利用しており、これらの物性はこれまで電気伝導と磁性は別々に取り扱われてきました。これらの2つの物性を巧みに絡ませながら、新しい高機能デバイスの実現を目指しているのがスピントロニクスです。

 半導体などの非磁性物質でスピンを扱うためには、外部からスピンを注入し、伝導・制御を行ない、スピンを検出する必要があります。新規スピンデバイス実現への課題は、金属や半導体へのスピン注入現象の解明、金属・半導体中のスピン依存伝導や磁場中における電気伝導特性の検討、電場によるスピンの回転操作、非磁性体中に作られたスピンの電気的な検出、微小磁性体の磁区構造の制御などが挙げられます。私たちのグループでは、これらについてナノレベルで制御された半導体超構造薄膜やナノスケールの微細加工技術を用いて、明らかにしていくことを目指します。


微細加工・ナノテクノロジー

 ナノとは10億分の1を表す単位であり、 1ナノメートル(nm)は1メートル(m)の10億分の1の長さ(10^-9 m)です。髪の毛の太さが約80μm(マイクロメートル)ですから、100nmでも髪の毛の太さの約1/1000くらいです。ナノテクノロジーとは、原子や分子をナノスケールで制御して配列したり、材料をナノスケールで加工することにより、新しい機能をもつ材料やデバイスを実現していく技術のことです。現在の微細加工技術の発展はめざましく、Siテクノロジーでは既に100nmを切るレベルで量産が進んでいます。

 Si加工に用いられているフォトリソグラフィーのパターン転写用マスクは電子ビームリソグラフィー技術を用いて作られており、その他にも、ナノレベルのプロトタイプデバイスの作製には、やはり電子ビームリソグラフィー技術が不可欠です。私たちのグループでは、マイクロデバイスやナノデバイスの作製にフォトリソグラフィーや電子ビームリソグラフィーを用います。これらの技術を用いて、新規スピンデバイスの現象解明や開発と共に、機能性酸化物薄膜をより簡便にナノレベル加工する技術の開発を目指します。



スピントロニクスの歴史と最近の研究動向(2015)

1. スピントロニクスの歴史

1980年代後半、半導体で発展した薄膜作製技術が金属系材料開発にも波及し、新物質探索として金属多層膜の研究が盛んとなった。この薄膜作製技術はさらに精巧化し、オングストローム(0.1 nm)単位での膜厚制御が可能となった。このように作製した多層膜は人工格子と呼ばれる。磁性体を用いた人工格子でも様々な組み合わせで新しい磁気的性質を示す物質が探索されたが、1987年、磁性人工格子において磁場を印加した際に大きな磁気抵抗が現れるという報告がなされた。これが、巨大磁気抵抗効果(GMR)の発見であり、後に金属スピントロニクスの発端の研究とされている。この発見は、HDDドライブの再生ヘッドの高感度化に直結する可能性を秘めていたこと、薄膜作製技術が一般化し新規参入への障壁が小さかったこと等から爆発的に研究が広がった。様々な物質の組み合わせが試され、層間結合の制御、反強磁性体を用いた交換バイアス、トンネル磁気抵抗効果(TMR)の発見をはじめ、垂直磁化膜の開発、磁気近接効果、特異な磁気光学特性を示す薄膜等、現在のスピントロニクス研究の素地が形成された。1990年代に入ると、膜厚方向の制御だけでなく、リソグラフィ技術を用いた微細加工技術を駆使して面内形状の制御を行うことによって、さらに磁気特性を操作しようとする研究に発展した。この研究によって、微小磁性体の磁区構造や磁壁の理解が進み、磁性体の微細化に関する知識が蓄積された。そして2000年代には、強磁性体から非磁性体にスピンを流し込んだ際に生じるスピンの流れ、いわゆる「スピン流」が、微細素子を用いた非局所4端子測定の確立とともに観測可能となり、スピン流の物理が大幅に発展した。これらの研究結果が現在の研究の基盤となっている。

一方、半導体分野ではSiプロセスの微細化によりプロセスルールが1 mmを切ってきたころから、微細化技術のブレークスルーと次世代新規デバイスの開発が命題となっていた。この中で新しい機能を付加した半導体開発の観点から、1990年代に強磁性半導体が見いだされ、比較的キュリー温度が高いGaMnAsの発見を契機に、室温強磁性半導体を目指して様々な磁性半導体の作製が試みられた。またこの流れに並行して、GMRのアナロジーからDatta & DasによるスピンFETの提案があり、強磁性体から半導体へのスピン注入の研究、Rashba効果によるスピンの回転制御等に関する研究が進んだ。当時は実験手法の関係からGaAsInAsなどIII-V属半導体を用いた実験が主流であったが、その後、半導体でも非局所3端子測定や非局所4端子測定で、半導体中のスピン蓄積やスピン拡散を電気化学ポテンシャルで測定できる技術が確立したことから、半導体へのスピン注入実験も飛躍的に進んだ。スピントランジスタを目指した近年のSiGeへのスピン注入・検出の実験はこの流れを汲むものである。2000年頃から、このような半導体中でスピンを制御する研究分野がスピントロニクスと呼ばれるようになった。これらは電子の電荷とスピンの両方の性質を利用して、これまでにない新しい素子を創出しようという研究の流れであった。このため、金属系で発見されていたGMRTMRもスピンを持った電子が主役であったことから、これら金属系のスピン偏極電子を制御する研究も含めてスピントロニクスという分野が形成されるに至った。このようにスピンの流れを研究の舞台として、扱う材料の垣根が取り払われ、さらに分子やグラフェンなどの新材料を用いた研究との融合も進み、本分野の発展が加速されている。

GMR, TMRの歴史に関するスライド

. 最近のスピントロニクス研究

スピントロニクスの研究では、スピン流という概念が本分野の中心となっている。現在ではその理解がさらに深まり、スピン流は角運動量を運ぶ流れと認識されている。さらに、スピン(角運動量)が光、熱、音、磁化の歳差運動、力学的回転運動等とも相互に変換できることが分かってきた。このスピン流そのものの研究に加え、スピン流に関連して、材料開発、磁気特性・磁化反転の制御、スピンの操作などの研究が活発に行われている。近年のスピントロニクス研究の発展には、日本の研究者の貢献が極めて大きく、次々と新しいスピン物性の研究報告がなされており、日本がこの分野を牽引しているといっても過言ではない。ここではそれぞれの分野について、最近の研究動向について紹介したい。

(1) スピン流の物理

 元来、電子は「電荷」の他に「スピン」という性質を持ち合わせている。スピンは「アップスピン」と「ダウンスピン」と区別することによって、さらなる情報を担わせることが可能であるが、非磁性の金属中では両スピンの量は等しく、スピン情報としては打ち消されているため、従来は見過ごされてきた。もちろん、強磁性体金属中ではスピンの量は偏っているため、強磁性体に電流を流せばスピンの偏った電流、すなわち「スピン偏極電流」が流れるが、強磁性体中を流れているだけでは平衡状態であるので、特別な性質を見出すことは難しかった。しかし、強磁性金属と常磁性金属の接合を用いて、スピン偏極電流が大きな役割を果たすことにスポットライトをあてたのがGMRの発見である。さらに微細加工技術の発展により、面内素子構造をもつ強磁性体と常磁性体の微小接合素子が作製されるようになり、強磁性体から常磁性体に注入したスピン偏極電流がある程度の距離(スピン拡散長)の間、スピン偏極が保たれていることを利用できるようになった。さらに注入電極直下ではスピン蓄積が起こり、スピン拡散により「純スピン流」が生成されることが報告された。これは、電流が流れていなくてもスピンの情報は流れるという新しい物理であり、純スピン流ではジュール熱の損失なく情報が伝えられるという点で多くの注目を集めた。

スピン流説明に関するスライド

 近年のスピン流の研究は、スピン流の生成と検出技術が必要不可欠であり、いかにしてこのスピン流を生み出すか、またスピン流によって何ができるかという観点から研究が進んでいる。以下に最近の研究でよく出てくるキーワードを記す。それぞれの説明に関しては、ここでは専門書や研究報告に任せることとして、興味のある話題については調べていただければと思う。

・スピンホール効果、逆スピンホール効果

・スピンポンピング

・スピントルク、スピントルクオシレーター

・スピンゼーベック効果

・スピン波・マグノン

・ジャロジンスキー・守谷相互作用(DMI)

・トポロジカル絶縁体

 

(2) 磁化反転制御 −電界効果―

 磁化方向を変えるには、電磁気学が教えるように外部から磁場を印加することが常識であった。磁場を発生させるためには、導線に電流を流し、アンペールの法則により導線周りに生じた磁場を利用するという間接的な方法が主流である。磁気メモリ(MRAM)などへの応用を考えた際、磁性体が微小になるにつれて磁化反転に要する磁場は飛躍的に増大し、それに比例して導線に流す電流も増大する。このため、この方法は微細化のスケーリング側に反し、応用への限界がすでに見えていた。ここで、新たに提案された方法が「スピン注入磁化反転」で、(1)で紹介したスピントルクの原理を利用したものである。スピン偏極した電流を流すことによって、直接磁化の方向を反転させる技術であり、これで初めて磁場を介することなく磁化方向の制御をする技術を手に入れた。さらに幸いなことに、反転させる磁性体の体積が小さくなるほど、反転に必要なスピン、すなわち流す電流も少なくて済むため、微細化のスケーリングにも一致し、磁気メモリ応用において磁化反転制御の救世主となった。それでも磁化反転にはかなり大きな電流が必要であり、実用素子に用いるためには、電力的にも素子の耐久性にも電流密度を下げることが課題であった。素子への垂直磁化膜の導入など、精力的な研究により、この問題はある程度解決されつつあるが、さらなる省電力化が求められている。電流制御では、ジュール熱による損失から逃れることはできない。半導体分野において、バイポーラトランジスタが電界効果トランジスタに取って代わられたように、究極の省電力化は電圧制御である。GaMnAsのようなキャリア誘起型強磁性半導体では、ゲート電圧でキャリア密度を制御することにより磁気特性を変化させられるため、電圧で強磁性を常磁性に切り替えるといった磁性自体を制御や、キュリー温度の変調、保磁力を変化させることによる磁化反転の低磁場化などが実証された。金属においては、もともと存在する電子数が半導体に比べて非常に多く、電圧で磁性変化を起こせるほどキャリア数を変化できないと考えられ、電圧での磁気特性制御は難しいと思われた。しかし金属でも、数原子層からなる超薄膜においては、電圧で磁気異方性を変化させることができることが報告され、その他にも磁気特性を変化しうることが分かってきた。さらに、この磁気異方性に対する電界効果の応用として、電圧を印加する時間を調整することで、電界誘起による磁化反転が行えることも実証されている。現在、これら金属磁性の電界効果について、物理的起源の解明や、超低消費電力デバイスの応用を目指した研究が精力的に行われている。

 

(3) スピン軌道相互作用

 スピン軌道相互作用(SOI)は、スピンFETにおけるスピンの回転制御に必要であったことから、半導体2次元電子系の分野での研究が進んでいた。SOIは、教科書的には電子が原子の周りをまわっている時のスピンと軌道の間の相互作用と導入されるが、ディラック方程式によればもっと広い意味で定義されており、電界中を運動する電子スピンには、電界と運動方向の両方に垂直な方向の磁場(有効磁場)が働くという現象である。有効磁場が電子スピンに働くと、その磁場の周りでスピンは回転する。電界の起源により2種類のSOIが議論されるが、一つは量子井戸のポテンシャル構造を非対称にすることで、電子の進行方向に垂直に内部電界を生じさせるもので、Rashba効果と呼ばれる。ゲート電圧を印加することによってポテンシャルの傾き(内部電界)を調節できるので、SOIの大きさを電界制御ができるという点で、スピンFETにおけるスピン回転制御のキーテクノロジーとして研究された。Rashba効果のゲート電圧制御が実験的に示されたことで、磁性体や外部磁場を用いずにスピンが制御可能であることが実証された。一方で、III-V属化合物半導体は結晶の結晶構造の反転対称性の破れから本質的に結晶内に内部電界が存在する。この電界によって生じるスピン軌道相互作用はDresselhaus効果と呼ばれる。この効果は、キャリア密度によって若干変化するものの、基本的には結晶対称性に起因しているため、外部からの制御には向いていない。これらのスピン軌道相互作用は、有効磁場によってスピンを回転させる効果があるため、回転制御に利用できる一方でスピン緩和の原因にもなる。近年では、外部電場の大きさを調節してRashba効果とDresselhaus効果の大きさをそろえると、電子スピンの伝導中にスピン緩和の生じない方向を作ることができるpersistent spin helix状態が存在することが分かってきた。この特性を用いれば、スピン軌道相互作用の効果をゲート電圧によってon/offでき、スピン緩和を抑えつつ、必要に応じて回転制御を行うような動作も可能になると期待されている。

 最近では、Rashba効果はこのような2次元電子系だけでなく、重い金属の表面や半導体・金属界面にも生じることが分かってきた。このRashba効果のスピン分裂は巨大であり、表面・界面における並進対称性の破れによる電場によるものと考えられている。このような表面・界面におけるRashba効果を用いた新たなスピン制御の可能性も検討されている。

 

(4) スピン機能材料

 スピン注入電極として用いるために、注入電子のスピン偏極率を限りなく100%に近づけるための物質、すなわちハーフメタルが挙げられる。ハーフメタルとは、片方のスピンの電子状態は金属的なバンドをもち、もう片方のスピンの電子状態が半導体的で、フェルミエネルギーではちょうどバンドギャップにかかっているために、電子は片方のスピン状態しか持っていない物質である。このため、ハーフメタルから注入される電子は、理想的には完全スピン偏極している。この候補物質として研究されている代表的な物質が、ホイスラー合金である。ホイスラー合金は多元系の合金であり、結晶の規則度が低下するとスピン偏極度も低下することから、強磁性トンネル接合に用いても、なかなか高いTMR比を得る素子を作ることができなかった。また、低温で高いTMR比が得られるようになっても、室温ではかなり低下するという問題があった。これは、半導体側のバンドギャップ中に何らかの電子状態ができたためや、バンドギャップが小さいため温度が上がると完全なハーフメタル状態を維持できなくなるためと考えられている。しかし、近年では精力的な研究の成果によって、室温においても数100%TMR比が得られるようになってきており、実用材料として検討されるレベルになってきた。

 その他スピントロニクス関連では、TMR素子のCoFeB系に代わる材料の開発、垂直磁気記録媒体に関係するL10-FePt膜の開発や、マルチフェロイック物質の開発なども盛んに行われている。